嫁を迎えるまで淡々と

レーシックで人生詰んだまま40代に突入した記録

精神疾患でもない。奇病でもない。レーシック手術の被害だ。

腐った希望の匂いにすがり2年耐え続けてる間にどこぞの眼科医に精神病患者扱いされたり、どこぞの物書きには金貰って被害者装ってるキチガイとカテゴライズされたり根性もプライドも擦りきれたせいか、いっそのこと真にキチガイになれれば楽なんだろうなと我ながら馬鹿なことを考える。品川近視クリニックからしたらぜひそうなってほしいのだろうが。

消費者庁の発表を端にテレビ、雑誌、ラジオでもメディアを通してレーシックの危険性が報道されている。気になるのは「危険性」なだけで、「後遺症を患ったら」「過矯正にされたら」「不調が出てしまったら」の場合を火消しに回ってる学会関係者のインタビューでは言及しないことか。

まあ、言えるわけないがない。リカバリーできないのだから。できていたら今頃このブログはぶひーぶひーとアニメゲームで人生消費プレイしてる人畜無害なブログになっていただろうから。だが現実は腐りきったままだ。かつての毎日運動できていた頃の自分は死んだままだ。

厚生労働省の厳密な審査を通って数ある医師の反対を押し切って実施した子宮頸がんワクチンも現在は副反応被害が相次いで厚生労働省御自らワクチン摂取を控えるように宣言している。案の定だ。

同様に厚生労働省御大の治験結果を通って認可されたレーシックに関しては公式な声明はない。屈折矯正学会、某私大教授がインタビュアーとして安全性・危険性についてコメントをしているが、視聴した限りではガイドラインを守り、眼科専門医の元で手術をすれば安全…という印象操作にもとれる振る舞いをしている。

もちろんレーシック手術の恩恵を120%受けている人がいることも知っている。俺だってそっち側になるものと思っていた。半年ほど眼が軽く痛い程度なら、光が滲む程度なら、夜眩しくなる程度なら、老眼鏡を使うのが早まる程度ならすぐに慣れるし問題ないだろう。鎖骨が折れたときも、手術で皮膚を掻っ捌いて縫った後でも、数ヶ月痛いだけで問題なく生活できていたんだからレーシックだって大丈夫。多分なんとかなる。ちょっとドライアイが続くだけ。そういう認識だった。

が、こうなった。やった結果は後悔と絶望しかない。

現実は蛍光灯の下でも眩しさを感じ、2年過ぎても眼や眼の周りが痛く、老眼鏡を常時つけ続け、吐き気、頭痛、不眠、顔筋までの筋硬直と戦ってる。まだ鎖骨折って痛みで脂汗浮かべてた頃のほうが遥かに楽だ。

痛いだけなら耐えれる。でも神経に作用されると悲鳴があがる。人間らしい生活があまりにも遠くなる。気分でどうにかなるものじゃない。

傾いた天秤を浮き上がらせるためにかなりの時間と資金を費やしたが少しも浮かび上がらない。殺人を犯して治るなんてファンタジーな話がもし現実におこるというなら俺は間違いなく手を染める。地べたを這いつくばるために俺は生まれてきたんじゃない。