嫁を迎えるまで淡々と

レーシックで人生詰んだまま40代に突入した記録

レーシック手術の執刀医は細見雅美という眼科専門医

いままで公開してきませんでしたが、執刀医の名前を公表致します。

いままで伏せておきながら、公開するに至った気持ちの経緯を簡潔にまとめたら、黙り続けていてもあっちは隠し続けて公共利益にならないな…と判断したためです。

以下、簡単に述べます。

レーシックの執刀医名について

まず、自分のレーシック手術の執刀医は細見雅美という眼科専門医でした。

一応、断っておきます。レーシックの執刀医である細見医師に対して恨みがあるのかといえば自分でもはっきりわかりません。

なにせ術後から一度もあってないから。

自分がこうなっていることを知っているのか、知らないのか、それすら私は知らないため憎悪の感情がはっきりとは沸いてきませんでした。

術後に合うことは拒否された

過去に一度、品川近視クリニックに細見医師に合わせて欲しい、と要求をしたことがあったものの拒否されたこともあり、自分の気持ちを確かめる場を提供されることもありませんでした。もしかしたらもう品川近視クリニックには籍をおいてないのかもしれません。

だから、現在の開業先を後に知ったので連絡を取ることにしました。

しかし、もしかしたら細見医師は自分がいまレーシック直後から苦しみ続けていることを知らないのかもしれない。だから手短に出来る限り簡潔に伝えよう。そう思いそれで一度だけ電話をかけることにしました。

電話で一言だけ

これだけ伝えました。


「あなたが私にしたレーシック手術直後からいまだに吐き気・頭痛・複視等で苦しんでいる。今度は斜視の手術をすることにもなった。」


謝罪の言葉が欲しいとか、近くを優先と希望していたのになぜ説明もなく遠視ターゲットにしたのか、ずっと苦しみ続けていることは知っているのかなどそういった類のことは何一つ質問もしてないし要求もしていない。簡潔にあなたが執刀したレーシック手術で後遺症満載の患者を生み出した。それを伝えただけ。

改めて折り返しが必要か?と聞かれたので連絡先だけは伝えたが、その時はあえて断った。それはどこまでこの状況をどこまで本気で考えているのか線引を出来ると思えたから。

治療したい、治してやりたい、どうにかしてやりたい、口ではなんとだって言える。何度も関係者からそんな言葉を聞かされたが俺は未だにこんな状況だから。

その気になれば品川近視クリニックに問い合わせて自分の電話番号だけでなく、メールや住所を含めたその他の連絡先を取得できたかもしれないし、仮に個人情報の絡みでできなくたって、電話番号だけでも十分な情報と判断した。

他には、当時、品川近視クリニック名古屋院の院長であった松田淳平医師に連絡を取り、術後からの経緯(連絡先もSNS先もすべて教えてある)を知ることくらいは容易であると思えたから。細見医師に限らずこのインターネット時代、検索したらすぐにいまどこにいるかは分かる時代ですから。

というか自分でも松田医師は検索したら出てきた。出てきちゃったよ。名前貸しかと思ったらちゃんと在籍してた。

で。

そして、その後の連絡はありませんでした。

別の出会い方をしたかった

www.miyabi-eye-clinic.com

現在、細見雅美医師は三重県で開業をしています。(上記HP)

そこでのHPにはこう記載されています。

「一人一人に優しい医療を 心がけております。」

自分には結果としてそうならなかったのが残念です。

公開に至った理由としてはこんなところです。先にも書いたけど口ではなんとだってでも言える。美辞麗句飾って、綺麗事並べて、自分の責任に向き合うこともできない眼科医が何食わぬ顔で先生面してる。そんな現実は俺は断じて認めない。