なんやかんやでいつのまにかアラフォーだったのが40代に突入する染井です。
30代の後半から自覚していましたがこの年齢になるともう紛れもなくおじさんです。ベリーおじさん。
この先を生きていくのが面倒くさい
40代に入ると急に体力や気力が落ち込み守りに入ると言われます。
実際のところ我が身を振り返ってみてどうだろうかと振り返ってみたいのですが、自分の場合は20代後半から30代をレーシック直後からの不調や苦痛に苛まれる日々でした。
そのため健康で過ごせた記憶がまったくなく比較対象が10代20代となってしまう。
そうなるとそりゃ気力体力全てにおいて比べるまでもなく衰えるだろうって。何もかもランクダウンです。ステータスが可視化できるなら軒並みデバブ食らった数値が見えていることでしょう。
というかレーシックなんてやったなと。あの頃の私は若かった。
まさか未だに後遺症で苦しめられてるとは思わんかったですが。
このレーシック後からのわけわからない眼球と周りの筋収縮などはこの年数が過ぎても解消できないということは今後いきなり治ることはないでしょう。神経ブロックで勝手に随意運動してる筋肉を止める手段だけは試してませんが、あくまで対処療法なだけで根本治療ではないようですし。
そうして私の体と眼はさらに年齢とともに老いていくなかで共存していくようです。希望がねえなあ。
レーシックの担当医も関係者も未だに眼科医やって施設も未だに営業をしてやがんのになあ。そんな患者などいなかったという体でなあ。
人生守りに入るとはいうが守るものがない
肉体的にも底のまま推移してるため気力面は言うまでもなく。
復讐心で満たされていたら充実していそうですが、人を恨むのもエネルギーが必要なわけで。
その辺り差し引いて日常的なことに目を向けてみますと、正直もうあまり感情の起伏があまりありません。新しい人やサービスや物に出会い体験するたびに何かしら演技で対応してる感が自分でもわかる。マニュアル笑顔、マニュアル喜び、マニュアル怒り、マニュアル悲しみ。
スマホやパソコンも昔に比べて便利な世の中になったなぁとは感じますが、なにかのバージョンアップやリバイバル感覚が拭えず新鮮味を感じません。
とまあ以前にも書いたような気がしますが何をしても既視感。
40代に入り加速するのか凪のまま停滞するのかは日々を過ごしてみないと分かりませんが、あんまり期待はできないように感じます。それほど論理的思考で生きてきたほうじゃないとは思ってるんですがね。むしろ感情優先で青春時代を過ごしたはずなんですが。
結婚をして家族がいたら話が違ってきたのかもしれません。いや、どうなんだろうな。責任感や愛情はあってもあくまで自分の受容体が活性化するのはない気がする。まあ独身の戯言なのでしらんけど。
幸いなのか不幸なのか独り身だから寂しいという感情はあまり感じないのですが、今後どうなるんでしょうかね。いまのところよくわかりません。
親よりは長生きしておこう
今回の更新はなんだかいきなり鬱病患者みたいなこと言い始めてますが、自分でそう思えるうちはなんたららしいです。
実際、仮にもうだめだぁ…おしまいだぁ…助けてくれぇ…と玄関叩いても仮病はけぇれ!と追い返されそうな気がします。
完全に落ちてしまったら楽になれたのかと何度か思ったことはあるんですが、地獄邂逅はしないほうが幸せだと思うのであまり擦り寄りたくはないのですが、実際、レーシック直後からの吐き気と頭痛とよーわからん耳鳴りで倒れた頃に比べたら健康すぎる日々だとは思うんですよね。
基準値がそこかってラインになってることに我ながらもんにょりと視界がぐねって歪みますが、もうあの頃の年齢にはもうどうやっても戻れませんし。
あの頃の年齢に健康だったらなぁ。そうだったら同年代と色々と過ごせただろうなぁ。
なにせ10年だからそんな夢想をすることもありますが、時は戻ることはないわけで。
唐突にトラックに突っ込んで異世界に転生!別人生でハッピーライフ!なんてできるのはフィクション世界だけです。幻覚作用がある薬を投与されてバーチャルリアリティで脳を錯覚させるにしてもまだまだオバテクです。でもノーリスク痛覚遮断薬ははよう。
などと思いながら今日もいつもの土鍋飯を食べておりました。
とりあえず親をこれ以上悲しませない人生を過ごさないとはなぁと。腹を痛めて産み、育てるのに大金を費やした両親に申し訳ないなとこんな私でも思うわけです。多分孫の顔を拝ませることはないでしょうし。
そして備蓄の米が1キロを切りました。もう駄目だぁ…おしまいだぁ…